2021年の11月、様々なレンズを通して光と時間を見つめるフォトエッセイ「The Lensgraphy」と言う連載を玄光社のCAMERA Fanと言うサイトで始め、気がつけば2年とちょっと、21本のレンズで写真を撮り、文章を綴ってきた。
レンズのインプレッション、と言う側面もある程度は考慮しつつ、内容のほとんどは僕がどう生きて、どう撮って、何を感じたか、と言う表現の話となっている。このサイトの読者に求められている内容なのか、と考えると少し申し訳ないような気もするがこういうコンテンツも面白いと連載を続けさせてくれているCAMERA Fanの編集長には感謝の気持ちが尽きない。が故に、赤裸々に自分を曝け出し、作例ではなく、本気で作品を作ってきたつもりだ。適当に作ったコンテンツは一つもない。
特にこの連載で使ってきたライカM,Lマウントのレンズはオールドレンズも沢山あり、個体差も多い中で作例もクソもないだろう、と言うのもある。
僕は作例と言う言葉があまり好きでなく、それはなんだか写真人としての自分の姿をぼやかしてしまうように感じるし、その写真は作例だからと自分の写真にエクスキューズをつけるようなこともどうかと思うからだ。プロフェショナルとして作例を求められる仕事も沢山やってきたが、それでも自分の中では「これは作品だ」と思って本気で撮ってきた。まあそう言う性分なのだろう。
▶Vol.5 Leica NOCTILUX 1:1/50 2nd Type E-58
2023年12月、この連載の21回目を脱稿したその直後に、父が他界した。
何かもう強制的に人生の節目が出来たようで、父の88年の人生を想いつつ、これは自分の生き方も見つめ直す出来事だと言うのがわかった。 The Lensgraphy はまだ2年とちょっと、21回の話だが本当に真剣に出会ったレンズと自分に向き合ってやってきた仕事なので、今読み返し、写真を見直すことにしたのだが、驚くほどリアルな感覚でその時の自分と対峙することができた。
手前味噌だが、これが本来の写真とそれを撮るために生まれたレンズの役目だと勝手に確信してしまうコンテンツになっている。やはりこの作品を通して僕が伝えたいこと、それは写るものは「どう生きているか」に他ならないと言うことだ。
The Lensgraphy には、出会った人々、風景、思考、美しい光、大切な時間。そんなものが写っている。それは人生そのものであり、その時ぼくの手の中にあったレンズからインスパイアを受けて、あるいは導かれて、歩んだ時間の記憶である。
Vol.13 Leitz Hektor 28mm F6.3
「横浜写真探偵譚」
僕のこの連載にあたり、とても貴重なレンズを貸してくれた方々、被写体達にも感謝の念が尽きないし、僕の人生に関わっている大事な存在だと思っている。一緒に撮影に同行された方や、本文に登場して頂いた方もいて、そんな友人達との思い出もここには詰まっている。逆にそこまで写し込もうとしてやってきた。だからただのレンズインプレッションにはどうやってもならない。
エンターテイメントとしてはそう言う類のものでもあるし、テクニカルな解説部分はやはりそういった思考、思想を表現するための技術として読んでもらえればと思う。シャッターは心で押すものなのだ。
父がやってきた仕事は具体的にはあまりよくわからなったが、勤めていた企業の駐在員としてブラジルに赴任し5年と少しのあいだ家族全員でサンパウロに移り住んだ。あの生活を経験させてくれたことはとても大きな出来事で、僕をフォトグラファーにした要因となっていることは間違いない。幼少期に見たあのダイナミックなブラジルの風景、異文化の体験が僕の心にずっとあり、世界中を駆け巡るフォトグラファーになる種となったと感じる。もちろんブラジルにも3度ほどロケに出向いて懐かしい風景を撮影もしたし、母校で後輩達に講演を行ったりもした。
今、父が亡くなって、故人を想い、振り返り、こうやって自分をも見た時に、やはり父は大きな存在だったと今一度思う。
親父、本当にありがとう。
The Lensgraphy は続く。この連載が終わっても、きっとそれは続いていく。レンズを通して人生という作品をしっかりと描いていこう、それが僕が生きている証であり、写真人としての存在意義だと信じている。