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この赤木耕一さんとの対談には著書「Still Life imaging スタジオ撮影の極意」はいかにして生まれたか、そしてNote連載中のフォトエッセイ「LENS恋図」のエッセンスが散りばめられていたりするのだが、改めてご紹介しつつ、客観的に自分のことを見てみた。 僕は今年50歳になる、半世紀生きて来て、その間に何をやってきて、どこにいるのか。そのマイルストーンを並べてみたような話、というには端折っているが。やりたい事、なりたかった者、という筋ではこんな感じだったんだと思う。 正直、これで良いのかも、この先どうなるのかもそんなに強く感じることは出来ないなあと思う。この先レールが引かれている訳ではないし、さらに穴をほったり飛んだりして進んでいくバイタリティーやタイミングがあるのかもわからない、またそれが一体どのような事なのかも明確なビジョンは正直無い。この50年で10代の頃心に決めた「プロのフォトフラファーになる」という一つの到達点にいて、そこから先の話はもっと難しいと感じる。若い頃のビジョンはいかにシンプルで美しかったのか、と今になって思うわけだ。 プロになって25年、15年間必死になって世界中駆けずり回って撮って来た写真、仲間達、経験と写真集。そして同時にスタジオで培って来た技術、それから生まれた「Still Life imaging スタジオ撮影の極意」これが今の僕の土台、プロフェッショナルとしての足場だ。旅行でたくさん海外を回ったとか、カメラの知識がある、という似たような言葉で表される経験とは一線を画すものがあると思っている(だからなかなか実は、そういうアマチュアとは話がしづらい)仲間もたくさん出来たが各々のプロフェッショナル領域の中では皆一人、自分も一人で戦うのだ。フォトグラファーも最後はやっぱり一人なのだ。信頼するものは自分でなくてはならない。逆にそういうプロ意識のあるもの達だけが本当の戦友だと思う。 さて、この小さな足場の上でどこまで登っても広がっている空を見上げながら未だに将来を夢見ている訳だ。 この対談では過去を振り返って色々と語っているが、さらに50年立った時にちゃんとまた話すことがあると良いなあと思う。 写真を軸に足場を築いて来たが、ここから先はそれだけでは立ち行かないかもしれない。もっと大きな大義が必要な気がしている。 具体的に目の前に見えている新規の仕事として、今年はさらにもう一校講師を務める大学が増える。去年始めた長岡造形大は教授陣との共同授業で僕だけの学生という訳ではなかったが、今度は僕以外先生のいない空間に学生が120人待ち構えている。ちょっと楽しみで震える。これがどう自分の糧になって行くのか、どう社会に作用するのかがまずは今年の新しい楽しみである。しかもこの授業では「Still Life imaging スタジオ撮影の極意」が教材となるのだ。 さてさて。空の上は果てしないのである。